フレッド・ムーアについてのメモ

調べ途中ですが、ちょっとメモ。



1911年ロサンゼルス生まれ。ドーピー(白雪姫)、ピノキオ、ティモシー(ダンボ)ほか、"Pluto's Judgement Day(プルートの化け猫裁判)" "Three Orphan Kittens(3匹の親無し子猫)""Brave Little Tailor(ミッキーの巨人退治)" などの長編、短編映画(35作品にのぼる)を手がけたほか、それまで10セントや25セント硬貨をなぞって描いていたミッキーを洋梨型に進化させ、流れやリズムそして柔軟性を持たせた。

またスタジオ内において彼の描く少女のスケッチ(Freddie Moore Girlsとも呼ばれる)は人気があり、そのデザインは"All the Cats Join In(映画『メイク・マイン・ミュージック』に収録)"や短編映画"Casey Bats Again"などに反映されている・・・と、ここまではよく見る話。


勤務中の飲酒が原因で45年に解雇され、ウォルターランツ・スタジオへ移るが約一年半後の48年には呼び戻される。

52年、42歳の若さで亡くなったが、彼の早すぎる死に対しては、失業中に飲酒運転で亡くなった、あるいは事故後、病院に搬送されたが当時のスタジオは福利厚生がしっかりしておらず、彼は治療費を払うことができなかったので(そして誰も彼に治療費を貸そうとしてくれなかった)手遅れになってしまった等、諸説あるが、実際のところ、彼は飲酒していたものの運転はしておらず(代わりに妻が運転していた)、搬送先のSt. Joseph's hospitalで事故の翌日に亡くなった・・というのが事実?らしいが、いずれにせよ政治的意味合いの強い逸話としてまことしやかに語られているようす。

  • On Death, Truth and Animation History: Fred Moore *1
  • Freddie Moore Slandered Again?*2